
【活字情報】
「評判ストリップティザー告知板」
その昔、アメノウズメの裸踊りをやんやと囃したてたヤマト民族も、
時代の下るにつれてチラリの赤、
ホラリの白などと至極微細な「情趣」に移り馴れてしまったらしい。
そんな所へ戦後俄にアメリカ、フランス直輸入の、
ひどく開放的なストリップ・ショウが現われたので、
演る方も観る方も板につかず、
片や震えれば片や唾をのむという珍妙な雰囲気醸成とあいなったものとみえる。
しかし時移り日流れてここに登場の諸嬢の如きは「些か男性の本能を刺戟しつつ、
同時に姿態と踊りの美を味わわせよう」と本来のメンモクに徹しつつあると承る。
かくなる上は観る方も、
帰りの満員電車内のイタズラで鬱憤をはらすなんてケチなたくらみや、
「そもそもストリップとバーレスクの相違は…」なんてヤボな議論はやめにして、
その場限りの刺戟と観賞を朗らかに楽しみ、舞台から投げられた花の一つは、
微笑んで胸に挿すくらいのユトリとエチケットは養ってもよかろう。
吾妻京子さん(23)
東京生まれ。南多摩の女学校卒。「操行はいつも優だった」と註あり。
戦後挺身隊の残務整理の仕事中、家族に無断でムーラン・ルージュに入ったが、
「早く母が死んで二つの時から育ててくれた」父親が黙許してくれ、
ストリップは去年、新宿で額縁の中に入ったのが初出演。
「純潔な処女がふとした機会から堕落してゆくってようなテーマの芝居が
私のガラに合うの……それに似た経験を持ったから」
と思わせぶりな過去を匂わせ
「男を見る眼が変った」そうだが、
現在は「私生活の清潔さが舞台に反映するから」と言うだけに
東京池ノ上に新築の家は清潔。
愛犬クンとは睦まじいが
「男の人には子供ッぽくすると変な気を起さない」と無邪気さを武器と心得、
「ストリップとバレーを混合したモダンバレーをやりたい」
隔日に注射をしての稼ぎ一日収入千乃至千五百円。
「アサヒグラフ」1950年6月28日号より
(原文は字空けのみで区切られているが、適宜句読点と改行を加えた)
[情報提供:喜六](2004.11.24)
昭和24年(1949年)
吾妻京子、ベティ丸山、ヒロセ元美、フリーダ松木、園はるみ等がデビュー。
(略)
昭和26年(1951年)
内外タイムス紙がストリッパーの読者人気番付を発表。
1位・ハニーロイ、2位・吾妻京子、3位・伊吹マリ。
[性風俗写真館2]「赤線・ストリップ時代編」広岡敬一
イースト・プレス 2003.10.20より(2004.01.19)
1950(昭25)6月 大映『転落の詩集』出演
[ヌードさん]橋本与志夫 筑摩書房 1995.4.25より