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福田はるみ(ふくたはるみ)

【活字情報】
「評判ストリップティザー告知板」
その昔、アメノウズメの裸踊りをやんやと囃したてたヤマト民族も、
時代の下るにつれてチラリの赤、
ホラリの白などと至極微細な「情趣」に移り馴れてしまったらしい。
そんな所へ戦後俄にアメリカ、フランス直輸入の、
ひどく開放的なストリップ・ショウが現われたので、
演る方も観る方も板につかず、
片や震えれば片や唾をのむという珍妙な雰囲気醸成とあいなったものとみえる。
しかし時移り日流れてここに登場の諸嬢の如きは「些か男性の本能を刺戟しつつ、
同時に姿態と踊りの美を味わわせよう」と本来のメンモクに徹しつつあると承る。
かくなる上は観る方も、
帰りの満員電車内のイタズラで鬱憤をはらすなんてケチなたくらみや、
「そもそもストリップとバーレスクの相違は…」なんてヤボな議論はやめにして、
その場限りの刺戟と観賞を朗らかに楽しみ、舞台から投げられた花の一つは、
微笑んで胸に挿すくらいのユトリとエチケットは養ってもよかろう。

福田はるみさん(20) 千葉県生れ。行徳の学校に在学中、亀戸の家が罹災。
終戦後十六歳で浅草の舞台に立ち、芝居とレビューをやったが
一昨年ヘレン滝さんの代役で出演したのがストリップの初舞台。
その時は「舞台で体の震えがとまらなかった」が今では舞台上から客質を観察し
「イヤらしい人らしい」などと分る。
東京渋谷駅裏マーケットで両親が「飲み屋」を経営。
「お母さんが時々客席の正面へきて目をサラのようにして
自分の娘の裸と他の人のを見較べてんの。
そんな時一番踊りにくい」とは中々理解ある母上らしい。
一日出演料二千乃至二千五百円。時にはキャバレーへも出演。
「私はストリップって芸術じゃないと思うの。
踊りは負け嫌いだから一生懸命でやるけど、
お金がたまったらサッサとやめることね」と徹底した見解。
「だけど中々たまらないわ」は遁辞。
「アサヒグラフ」1950年6月28日号より
(原文は字空けのみで区切られているが、適宜句読点と改行を加えた)
[情報提供:喜六](2004.11.24)

昭和23年(1948年)
後の大スター、メリー松原、ヘレン滝、福田はるみなどがデビュー。
[性風俗写真館2]「赤線・ストリップ時代編」広岡敬一
イースト・プレス 2003.10.20より(2004.01.19)


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