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メリー松原(めりーまつばら)

舞姫画像
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左:S22年春浅草からデビュー 戦後派を代表するスターの一人。
[裸の女神たち]石橋勝久 吐夢書房(シロアリ文庫) 1982.9.1より

右:ロック座『南国の処女』、1948年
[ヌードさん]橋本与志夫、築摩書房より

【活字情報】
「評判ストリップティザー告知板」
その昔、アメノウズメの裸踊りをやんやと囃したてたヤマト民族も、
時代の下るにつれてチラリの赤、
ホラリの白などと至極微細な「情趣」に移り馴れてしまったらしい。
そんな所へ戦後俄にアメリカ、フランス直輸入の、
ひどく開放的なストリップ・ショウが現われたので、
演る方も観る方も板につかず、
片や震えれば片や唾をのむという珍妙な雰囲気醸成とあいなったものとみえる。
しかし時移り日流れてここに登場の諸嬢の如きは「些か男性の本能を刺戟しつつ、
同時に姿態と踊りの美を味わわせよう」と本来のメンモクに徹しつつあると承る。
かくなる上は観る方も、
帰りの満員電車内のイタズラで鬱憤をはらすなんてケチなたくらみや、
「そもそもストリップとバーレスクの相違は…」なんてヤボな議論はやめにして、
その場限りの刺戟と観賞を朗らかに楽しみ、舞台から投げられた花の一つは、
微笑んで胸に挿すくらいのユトリとエチケットは養ってもよかろう。

メリー・松原さん(22)
東京下谷生れ。精華高女卒。貴族院速記課にタイピストとして勤務。
戦後アーニーパイル舞踊隊をふりだしにストリップ界の草分けとなる。
「決して最初はエロをねらったんじゃないの」に、
観衆が次第に強烈なものを歓迎するようになったので
現在の形になったのだと弁解する以上、
「ゲイジュツなんて口はばったいことをいう前に、
まずお客さんにうけるものをやらなくちゃダメ」の由。
東京中野に両親健在で旅館を営業中。
「過労でやせちゃったの。だから荒稼ぎもしないで、
できるだけ栄養分を吸収してるので」未だに親のスネカジリという。
「つぎつぎに失恋しちゃって…でもまだ若いわ」とその方でも抱負大なる模様。
「乳房が大きいのと脚がすっきり長いのが魅力のもとだと皆さんが仰有る」そうだ。
バレーの先生にも師事して新味を考えてるとか。
[喜六注]アーニーパイル舞踊隊:東京宝塚劇場が戦後一時アメリカ軍に接収され、
     数年間「アーニー・パイル劇場」として兵士慰安のための劇場となっていた。
     出演者はほとんど日本人の歌手と踊り子。
「アサヒグラフ」1950年6月28日号より
(原文は字空けのみで区切られているが、適宜句読点と改行を加えた)
[情報提供:喜六](2004.11.24)

昭和23年(1948年)
後の大スター、メリー松原、ヘレン滝、福田はるみなどがデビュー。
[性風俗写真館2]「赤線・ストリップ時代編」広岡敬一
イースト・プレス 2003.10.20より(2004.01.19)


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