週刊誌などで踊り子さんの写真を見つけると嬉しくなる。 私は購入した雑誌の写真をクリアファイルに入れて整理している。 劇場に行けない時はこれを眺めるのがまた楽しい。 さてこれらの写真の撮る人、すなわち写真家はたくさんいるが、 かなりの確率で南野秀次氏と原芳市氏の名前を目にする。 作風はまったく違うがどちらの写真も私は大好きだ。 南野秀次氏は踊り子さんを美しく撮る天才だ。 ステージ上で照明を浴びてキラキラ輝く踊り子さんを そのまま写真として切り取ってしまう。 どのカットを見てもポスターとして部屋に飾りたいと思える美しさだ。 一方、原芳市氏の写真は楽屋等のステージの裏側のものが多い。 するどい視点で踊り子さんの内面を写し出す。ゾクッとさせるカットもある。 言ってみれば南野秀次氏は『踊り子さん』を写し、 原芳市氏は『踊り子さんという職業の人間』を写している。 片方は『公』、もう片方は『私』を写しているとも言える。 被写体となる踊り子さんからすれば、 南野秀次氏の写真は評判が良く、原芳市氏の写真は批判的な方も多い。 『私』を写されることを嫌っている方も多いということだ。 彼女たちの言い分は、 「夢を売っている商売なのにあんなに汚い楽屋を公表されたら、 お客が幻滅するじゃない」とか「私生活まで売るつもりはない」といったような内容だ。 この言い分はもっともだと思う。 その一方、原芳市氏の写真の魅力も理解しているつもりだ。難しい。 客席でステージを見つめる自分自身のことを考えるとますます難しい。 基本的なスタンスは南野秀次氏的なものだが、 ステージを透し、どうしてもその奥の部分を見てしまう時もある。 踊り子さんの私的な情報をプラスしてステージを見てしまうのだ。 なにが良いのか未熟な私には分らない。 取り留めのない文章になってしまった。 誰が撮った写真にしろ、ただ奇麗といって写真を眺めるのではなく、 被写体の踊り子さんの目を見つめるといろいろなことが見えてくる。
[舞太郎](1996.12.23)