人を感動させること、人の心に強く影響をあたえること、これはとても難しい。 大前提として、表現者とそれを受ける人との間で、 経験や記憶といったものの共有化が、ある程度できていなければならない。 「短い表現」の場合はなおさらである。 俳句を例にとってみよう。 字余りは例外として、基本的に五・七・五の17文字で、 すべてを表現しなければならない。 これは日本人の共通した自然感とか季節感とかいったものを 前提にして成り立っているもので、そういう共通認識、 共通感覚を持ち合わせない外国の方には、なかかな理解されない。 もっとも、自然感とか季節感を喪失した現代日本人にとっては、 近代の俳句を読んで感動できる人は少ないだろうが・・・。 長編小説とかの場合は、読者にある程度の共通認識を持たせるだけの説明を、 物語の中に入れることもできる。 よって、俳句などの場合に比べて、幅広い人達に感動を与えやすい分野であると言える。 ストリップの場合はどうであろうか? 私は俳句に近い存在だと思っている。 「短い表現」の難しさを背負っているということである。 20分なり25分の中で、 「ダンスステージ -> ベッドステージ -> オープンステージ」 という基本的な展開があり、その中ですべてを表現しなければならない。 「起承 -> 転 -> 結」とでも言えば良いのか、 俳句の 「五 -> 七 -> 五」とでも言えば良いのか、 一定の暗黙の約束事の流れの中で、すべてを表現し、 見る人に伝えなければならない。 逆説的に言うと、情報量の多い現代で、 いろんな経験によるいろんな感性を持った多種多様のお客さんすべてに、 一人の踊り子さんが感動を与えることは不可能に近い。 そういう意味で、ある特定グループの人に、強く感動を与えるというのが、 今のストリップのステージ表現の特性であり、 お客の追っかけ化の根底に流れている構図であると思う。 自分に近い感性、自分にあった温もり、 自分にあったトキメキを求めて、劇場に足を運ぶのが、 ストリップの醍醐味のひとつなのだ。
[舞太郎](1998.10.30)