踊り子志望の方から、履歴書?生育暦を頂いた。 私ひとりで読むのはもったいないほどの力作なので、転載する。 ------------------------------------------------------------------------ 1976年7月18日 足立区竹ノ塚にて、長女として、生まれる。 3歳までS玉県K市のアパート、4歳から同市内に家を建て引っ越す。 保育園のときに自慰をはじめる、 (5、6歳か)おしっこを我慢してたら、 なんとなく服の上から押さえるのがくせになってしまった。 かすかだが、すっきりする。という感覚もあった。 地元の小学校に通う。(1982〜1988) 文字が読めるようになると、講談社クオークを読み、 笠原教授、押鐘先生などの性科学の研究を知る。 しかし、「濡れるって?おしっこじゃないのに?」という感じ。 (親には聞きませんでした) とにかくセックスが悪いこととか、 汚いとかいうマイナス意識は植え付けられずに済んだということです。 クオークにはアフリカの割礼(女子の陰核を切り取るもの)が載っていて、 痛そうだけど、何故かかわいそうとは思わなかった。 映像的にはサスペンスドラマや、五社英夫の映画を見て刺激を受ける。 小学校6年生12歳。 6月に初潮がくる 塾へ行く途中、高校生くらいの男性に 「塾をさぼって遊びにいこう」と声をかけられる、断る 海で海水浴中に、大学生くらいの男性三人に陰部をもまれる。 一瞬だったのでよくわからず、忘れる。 小学校は「君が代」を教えないくらいの極左で、 二年生の時の隣のクラスの先生は、精神病院送りになったり (ごはんにペンキかけて食べてた)ドラマチックな学校だった。 地元の中学校に通う(平成元年入学) 全校生徒1000人の大規模校、クラスの半分は高校進学ができない学校だった。 いわゆる不良もいたので、学校の周りには右翼の車が来たり、 友達が妊娠しただの、薬中だの、という噂の中、私は一人蚊帳の外にいた。 受験の年の担任が進路指導の際クラス全員の前で、 「女は股ひらけばいい」と言ったのが、忘れられない。 夏休みの宿題で、プロレタリヤ文学を調べることになり、 展覧会の人に当時の拷問の様子を聞いた 「女の人は警察に大事なところを、火であぶられて、 皮がくっついておしっこができなくなった」という話がとてもショックだった。 母に高校進学希望の旨をいうと、 「お前は器量がいいから、今から銀座にいけばモノになる」といわれるが、 「英語のわからないところが高校でわかるらしいので、行かせてくれ」と頼む。 母の発言は冗談の範囲で、うちは別に貧乏ではなかったです。 母自身が勉強嫌いだったので女子に高等教育は必要ないという考え、 父は自分が大学に行きたかったものだから、勉強させたがった。 U市の公立高校に通う。 この高校も所沢、熊谷高校に続く、左翼高校で、運動会の時、 日本史の先生は日本の旗を(小さい飾りの)むしりとっていたのが印象的、 新任の校長が来て国旗を揚げた時、先生は泣いてました。 自分の行きたかった高校(校則がなく、私服)なので、楽しい毎日を送る。 2年生の時、でかけた渋谷で、 メディオスというアメリカのグループ精神療法を悪用した、 自己啓発セミナーにひっかかり、親に総額22万借金。 お金のために、テレクラの桜バイトをする。 上京してきた人が、長々と話し最後に泣き出した時は罪悪感を感じた。 (自分がさくらであることに) セミナーで家に帰れなくなった時があり、 駅で寝ていると、サラリーマンに誘われ、家についていく 「なにかあったら、<好きな人がいるんです>というと男の人は引く」 と高校の先輩に言われていたので、気構えはあった。 後ろから抱きしめられ、押し倒されたが、 「あーーーれーーー」と声をだすと撤退される。 また、別の日、駅で知的障害者の人に手をつかまれ、勃起したものにあてがわれる。 暖かくて気持良い感じがしたので、そのまま一緒に電車に乗る。 一駅乗り過ごし、どうしても帰ると言って、帰らせてもらう。 自己啓発セミナーにはまっていた時は、周囲に本当に心配、迷惑をかけたが、 親と高校の友達はとても優しかった。ありがたい。 このセミナーはバックが強いので、糾弾されながらも存続していると思う。 幼馴染のSが、酒の勢いで処女を喪失し、後悔している話を聞く。 一年生の時、図書委員で知り合ったボーイッシュな女友達Uに、 実はレズだ。と告白される。 同級生の女の子とつきあい、思いを遂げたのだが、 彼女は男の子を好きになり、別れることになり辛いと言っていた。 「まあ、彼女の幸せが考えたら、Uさんが身をひくしかないね」と答える。 Uさんは、アトピーがひどかったが、 男性とも普通に話すので「なんでレズなんだろう」と思う。 後日よく話を聞くと、Uさんは、八歳の時に親戚のおじさんに性的虐待を受け、 (ソーセージを挿入された)とのこと、下に妹がいるが無傷とのこと。私は泣き、 「そんな風に淡々と話すあなたは自分を傷つけている。」とだけ告げる。 ちなみに、保育園の時から高校まで、 そのつど、好きな人、憧れの先輩などいましたが、私から告白したりはしなかったし、 誰からも「つきあってほしい」など言われたことがなく、さびしいものでした。 浪人時代 高校三年の時に「虚学がやりたい」と進路指導の先生に言うと、 「そんな大学、今はない」と言われ、 どうしようかと考えていたら、大学に落ちたので、 塾代は自分で払うから、と親を説得し、浪人させてもらう。 早朝は東京駅八重洲地下街の喫茶店で働く。 その喫茶店の店長がどうも、 目がきらきらしていると思ったら、喫茶店の先輩おばちゃんに、 「店長はおなべなの、それで、バイトの女の子を食い物にしているから、 誘われても飲みにいっちゃ駄目」と言われる。 実際、食い物にされている女性とも、一緒に働く、みな美人でまじめなお嬢さんばかり。 店長は女の子が店長に夢中になると、飽きて捨てるらしく、 現彼女、旧彼女、彼女候補と店は華やか。 おばちゃんは、バイトの男の子には、 なるべく店長の自宅に行かないで、女の子を連れて帰るように忠告していた。 男の子に聞くと、「結構、薬やってるっぽい」と打ち明けられた。 ちなみに、よく伝票は使いまわしてました。 早朝のバイトの人は警察庁の娘さんもいました(5年くらい勤めていたベテラン)。 私は店長よりだいぶ背が高く、 足首が太かったので(細いのが好みらしい)飲みに誘われませんでした。 喫茶店のおばちゃんが中華料理店を六本木でやっていたので、 そちらにもバイトに行くことになる。 朝から昼まで、八重洲で働き、昼は日比谷図書館で勉強、夜六本木の生活。 忘れもしない、春の雨の日、同い年くらいの男性に傘をさしかけられる。 図書館までついてこられる。 エスカレーター式で、先生に頼んで無理やり明治の商学部に受かったと話、 しつこく「遊びにいこう」と誘われる。うるさいので外にでると、木の下につれてかれ、 むりやりキスされ、まあ、しごくように言われる。内心「とにかく、 射精させねば私の身が危ない」と感じ握ると、スカートにかけられる。 「痴漢!!」と言いたかったが、 この若い男性を痴漢呼ばわりすれば彼は一生こういうことを続けかねない。 と判断し、無言で逃げる。 さすがにファーストキスをこういう形で奪われるのはショックで、 家に帰ると母に「何かあったのか?」と聞かれる。 「何でもない」と答える。 塾は英語の塾に通う。非常に上質な授業で見聞が一挙に広がる。 法科の先生が授業中、尊属殺人の話をしてくれて、 (娘が父を殺した事件、しかしこの二人は長く近親相姦関係にあり子供もいた、 情状酌量がとられる)印象に残る。 なんとか、日芸に合格する。(平成8年入学) 引き続き、夜は中華店でバイト 中華料理店は表向き華やかだが、内情は火の車でした。 店長の実家からの仕送りで店がもっていた。 息子は高校生で、かわいい風貌。 彼のカナダ系日本人の友人はSPAのライターだったので、彼は雑誌にのったりした。 別のハワイ系日本人の友達はモデルの仕事やら、 ロック歌手のパーティやらと、私の知らない世界の話をされる。 この時、私の小学校の友達も一緒に働く、 店長の息子が彼女に一目ぼれし、いろいろ聞いてみると、 高校(男子校)の先輩に犯され、 女の子と恋愛する勇気がないとのこと、私の友人も彼や、彼の友人に振り回される。 一方私は、出前の先のおばさんに声をかけられ、外人相手に売春しないかと誘われる。 OKと答える。 この頃は母親に対して、女の反抗心が熱く、 秘密をつくりたかったし、痛くなく処女喪失できれば誰でも良いと思っていた。 が、小心ものの私は、売却当日は東洋英和高近辺の教会で神に無事を祈ったりした。 アメリカ人と紹介されたおじいさん(白人)に、二万五千円で売られる。 本当におじいさんだったので、「イヤだといえば、わかってくれるかも」と油断する私。 おじいさんに連れられて生まれて初めて千鳥が淵の桜を見る、 西行の歌を彼に教えると 「満月と桜はいいけど、死ぬのはやだ」といわれ 「雅趣に乏しい人だ」とがっかりする。 部屋に通され、キスをされる。腰が抜ける。今思えばこれが全てのまちがいのもと。 とにかく続きを拒否したが、 おじいさんは「どうしてもダメ?」と子犬のような瞳で懇願する。 「それはこっちのセリフだろう!!」といいたかったが、英語にならない。無念。 初日の帰りに封筒を渡される。 「お金が入っているけど、ここで見ないでくれ」と言われる。 そして、 「君は娼婦のたまじゃない。僕が面倒をみるから、女衒には二度と会うな」と言われる。 言うとおりにする。お金は三万円だった。 私がとにかく痛がったので、ペッティングとフェラチオのみが、週一、二回、半年続く。 自慰の際、私は直接性器に触れていなかったのと、 挿入に対する恐怖心はとても強かったように思う。 半年目に私は「あなたの恋人になりたい」と告白する。 彼は苦笑。 この時、私は売春の罪悪感に耐えられず、 彼を真剣に愛することで、それを薄めようとしていた。 嘘からでた真をめざしていた。そしてこの頃よく読んだのは、吉行淳之介「夕暮れまで」 彼は焦れて、「どうしてもはじめての人が俺じゃだめか」と聞かれたりする。 私もうすうす覚悟は決まっていたが、どういっていいか切り出せず。 三月に彼の誕生日が来るのでその時に、と約束する。 「男にとって最高の名誉」と言われる。 三月、試すも貫通できず、三回目くらいで貫通する。やはり痛い。が、出血がない。 彼は少しがっかり。 翌日私は本屋でDavid Hamiltonの 「AGE OF INOCENCE」の写真集を買い、 もう後戻りはできないと思う。 貫通後、五回目くらいで、「今日は全部入った」言われる。 今まで入っていなかったことに驚く。 それ以降何回目かに、私の膣のしめつけが起こる、 彼はとても喜ぶ二人ともそれに夢中になることが多くなる。 順調に開発がすすむ。 一年後くらいに、膣オルガスムに達するようになる。 大学三年生の時(22歳) 美術学科の友達に絵のモデルという名目で、ブルセラ(?)の仕事を紹介される。 渋谷のマンションの一室。 店長は大阪から東京進出に来た人で、男のフェチについて熱弁される。 使用済みストッキングや下着を求められるが、 私は、形が残るのがいやだったので(放尿を見せるのはいいが、尿を進呈するのはイヤ) ここでしたのは、店長相手に私が全裸になって、 オイルマッサージされる事と、肛門を見せる事の二点。 いたく気に入られたようで、 「大阪のお金持ちの愛人にならないか?一体いくら必要だ?」と言われる。 当時大学のサークルが忙しく、一人暮らしをしたいと考えていたので、 「15万くらい」というと「じゃあ、俺が買う」とまで言われる。 でも、私はすでに囲われているので、鄭重に断る。バイトもそれっきり。 21、22歳くらいのときは、上の件同様、銀座のホステス勧誘が二件、 芸能界NHK朝ドラ系勧誘が一件、AV女優勧誘が一件あった。 しかし、今思い返しても興味深い体験が、8月末に起こる。 池袋LOFTで50代後半の男性(見た目日本人だが、 白人クオーターとのこと)に声をかけられる。 「娘への贈り物を選んでほしい」と言われる。一緒に選ぶと、お茶に誘われる。 T氏は産婦人科医と名乗り、私は普段から疑問に思っていることを全部質問する。 「会陰切開はどうして必要なのか?」 「性的虐待はなぜおこるのか」などなど、 T氏は「明日、教科書を持ってくるから、また会いましょう」と言われる。 翌日、産科の教科書で、切開の様子を知る。T氏は日本では助産婦の指導をしていて、 聖路加や聖心女子大で公演したり、「国境なき医師団」のメンバーだと説明される。 しかし、「半年で一千万稼ぐので、あとの半年は遊んで暮らしている」とも聞くので、 それってただの税金対策?とも思う。 難産のタイプかどうか見るという名目で、一緒にホテルに行く、 なんだかんだで脱がされる、左右の小陰唇の大きさが違うので、 同じになるマッサージやら、色がピンク色になるという薬が塗られる。 左右の陰唇はこの日以降しばらく同じ大きさになったが、またもどってしまう。 色は、この日は月経最終日だったので、効果はさほど確認できなかった。 T氏によると、高校生位に、運動をしたり、新陳代謝が活発だとムレテ、 感染症にかかる可能性があるが、若いので気づかないで治ってしまう。 その時に色素が沈着しやすい。とのこと。 処女膜の亀裂が深いので「破瓜の時痛かったでしょう?」と言われる。 「下の毛も中央が高くなるように、カットしなさいね」と言われる。 「挿入しなくても、女性はイクことができるんですよ」と言われる。 ↑を実行してみることにする。 不思議だったのは、私は下着をつけたままで、 T氏はズボンをはいたままで、正常位の格好になり、その部分を重ねた。 私はオルガスムスを得た。しかし、T氏のあたっている部分はとても柔らかく、 そういう人なのか、睾丸の部分だったのか、不明。 とにかく柔らかい、私はぼんやり「女の子としたら、こんなかしら」と思う。 キスだけしてもらう。 「挿入してください」と頼むと、 「僕を忘れられなくなるからダメ」と言われる。 T氏はフランス在住なので、 「君がフランスに来れたら慰めてあげられるけど」とも言いつつ、 ホテルのコンドームを私にくれて、きちんと携帯するよう言う。 「健康で、感度も良いし、あなたは、男性からも女性からも好かれる。 徳があるからね。もう少し、目元と口元にお化粧をしなさい」と氏は言い残し、 別れる。 T氏は出身大学では有名な変態医師らしい、ですが、行方は拗として知れず。でも、 詐欺でもいいからまたお会いしたい方です。 ハゲでデブのおじいさん、から私のダーリンになった彼が、退職することになり、 本国(EU圏)に帰国することに、彼は私のしたいようにしなさい。 と言われ、私は関係を続けることを選択。 長距離恋愛となる。この時、正確な年齢差を知る。およそ4まわり差。 大学卒業後、彼と将来について話し、私は日本で就職する。 いろいろ男性遍歴がある。 (詳細は割愛させていただきます) 一年半で退社。 彼が何しろ高齢なので、役立つ知識をつけようと、 地元の大学で、解剖生理、精神、看護や福祉の勉強をする。(聴講生) 彼が心筋梗塞で倒れる。 二人急速に結婚への意思が強まる。 今年の夏から、書類などを準備し、親に 「結婚します。相手は外人で、年は上で、私より確実に先に死ぬけど、 私はこの人の為に生きたいので許してください」とつげる (さすがに売春宿で知り合ったことは言っていません) 母が泣きじゃくり、父は「好きにしなさいこの子は止めれば聞かなくなる」という。 9月EUへ行く、向こうでの手続きなど、打ち合わせる日々。 彼は体調の関係で日本に来られず、両親に会っていないので、 「ご両親のために、日本で式を挙げよう」と言ってくれる。 EUに渡って2、3週間後、母から「父危篤の電話」 「食道静脈瘤破裂」ときき、「こりゃだめだ」と判断、とにかく日本に帰るチケットを手配。 成田行きの飛行機に乗る前に父死亡の電話。 葬儀は済むものの、母と私は統合失調症の、発症寸前になる。 (急性期はさすがにやばくて、医者の手配もした) 現在、落ち着きつつあります。
[舞太郎](2004.12.04)